岩国吉川会 岩国市 吉川氏 吉川史料館 岩国市横山 広家 広嘉 経幹

墓参団派遣決める

平成30年度総会

維新150年で藩士眠る福島へ

錦帯橋の世界文化遺産登録への協力などを呼び掛ける名誉会長の吉川ご当主

開会に当たり、あいさつする隅会長

約100人が出席して行われた吉川会総会(岩国国際観光ホテル)

 鎌倉時代から続く歴史を持ち、江戸時代は岩国を所領して岩国市の基礎を築いた吉川氏の功績を顕彰して誇りある地方文化を高めることを目的に活動している岩国吉川会(隅喜彦会長)は14日夜、岩国国際観光ホテルで第8回総会を開き、今年度事業として150年前の戊辰戦争で戦死した岩国藩士7人が眠る福島県富岡町の龍台寺への墓参団派遣など、今年度の事業計画を承認した。

 総会に先立ち、講談師の神田織音さんが明治維新150年を記念し、幕末の激動期に本家・毛利家を守るために死力を尽くした岩国藩第12代藩主・吉川経幹(きっかわ・つねまさ)公にスポットを当てた「吉川経幹 長州を守った男」を演じた。

 午後6時から行われた総会には名誉会長で第32代当主の吉川重幹(きっかわ・しげもと)氏を迎え、佐倉弘之甫教育長ら来賓を含め約100人が出席した。

 開会に当たって隅会長は「吉川会も7年を迎えた。メンバーが減らず、増えている。大変素晴らしく、会への理解を頂いているものと思う。全国に5つの吉川会があり、2年ごとに交流会を開催している。昨年は吉川氏の発祥地である静岡・駿河で行われ、悪天候の中、駿河吉川会の方が案内してくれた。印象に残っているのは、初代の位牌を前に琵琶法師が『狐が崎の戦い』について唄う姿。タイムスリップしたようで、吉川家の歴史の深さを感じた。吉川家が持つ深い歴史をさらに学べることを喜びに感じている」と述べた。

 次回交流会は岩国市と鳥取市の姉妹都市縁組25周年を記念、平成32年に鳥取市で開催する。吉川史料館の所蔵品を鳥取に持ち込み、「名品展」を開くことを説明し、「鳥取市民は鳥取城落城時の吉川経家(きっかわ・つねいえ)公の悲愴な決断と行動をよく知っている。鳥取市民は現在も、その歴史を大事にしており、その地で名品展が開かれることは大変有意義だ」「吉川会を続けることで、市民に吉川家の歴史の重さをさらに感じてもらえるものと思う」とあいさつした。

 名誉会長の吉川重幹氏は「皆さんにお会いできることを楽しみにしていた。明治維新150年にちなむ神田織音さんの講談を期待していた。吉川会を通じて伝統と誇りのある地域文化を高める活動に改めてお礼申し上げる」と感謝した。

 長崎・島原の潜伏キリシタン関連遺産が、世界文化遺産指定に妥当とされたことに触れ、「当初、文化庁は教会など建物を主体に推薦していたが、イコモスの指摘で内容を見直し、教会建築の歴史的背景を主体とした推薦文に書き直し、イコモスの勧告につながったと聞く。岩国にも世界文化遺産に登録されるべき錦帯橋がある。国内の暫定リスト掲載に向けて努力しているが、残念ながら未だ実現しない。3月6日、錦帯橋を世界文化遺産に推す会の会長や隅会長らと文部科学省を訪ね、林大臣らと面会した。林大臣も非常に関心を寄せ、市民運動を継続して欲しいといわれた。文化庁から詳しい説明があり、登録のためには世界的に見てどこに価値があるのかを示す推薦文が非常に大切といわれた。市の文章力にかかっているとも言われた。キリシタン関連遺産を教訓にしなくてはならない。イコモスは地元の真剣さ、盛り上がりを調べるため、市民に直接インタビューして調査する。市民のどなたがインタビューを受けても応えられる状況を作らなくてはならない」と提案した。

 総会では隅会長を議長に平成29年度活動報告、30年度の事業計画などについて協議した。

 今年度の大きな事業は墓参団の派遣。明治元年(慶応4年)、戊辰戦争で岩国藩は東北へ精義隊、敬威隊を派遣、激戦で藩士7人が戦死、地元の人たちによって手厚く葬られた。その龍台寺では地元有志により、清掃と慰霊祭が続けられていたが、平成23年の東日本大震災で龍台寺も被災、藩士の墓と石碑も倒壊した。

 明治維新150年の節目にあたり、吉川会として墓参団を組織、7藩士の命日に合わせ7月27日から29日の2泊3日の日程で福島県富岡町を訪ね、墓石の前で供養祭を行うことを決めた。

 また、第5回を迎える吉川文化際発見フォーラム(11月11日開催)では「わたしの錦帯橋」をテーマにエッセイ(作文)を募集する。

 これまで作品募集は市内小中学生を対象としてきたが、今年は錦帯橋の世界文化遺産登録運動の機運をさらに高める意味から、一般の部も設ける。作品は400字以上1200字以内。募集期限は9月28日までとなっている。詳細や問い合わせは佐古利南さんまで。0827(31)2149。



鳥取で吉川展開催へ

経家公を縁に深まる交流

吉川史料館内「木菟亭」で行われた懇談会

あいさつする深澤市長

 

隅会長らの案内で吉川史料館に展示されている経家公の遺書を見学する深澤市長

 戦国武将の吉川経家(きっかわ・つねいえ)公の縁で岩国市と姉妹都市縁組を結んでいる鳥取県鳥取市の深澤義彦市長が平成30年5月9日、岩国市横山2丁目の「吉川史料館」を訪ね、岩国吉川会の隅喜彦会長、縁組のきっかけを作った元「じゃげな会」代表で現在は天尾地区で国際交流活動などに取り組んでいる「地域交流の里」の新庄菊子代表らと懇談、さらなる交流の促進に向けて意見を交換した。

 深澤市長は、平成32年に姉妹都市25周年を迎えることから、鳥取市の歴史博物館で吉川史料館の収蔵品を展示する「吉川史料館名品展」のほか、全国の吉川会が集まる交流会の開催が企画されていることで、岩国側の協力を求めた。

■偶然の出会いから

 両市の縁は平成3年1月にたまたま岩国市を訪れた鳥取市民が、鳥取の英雄として語り継がれている戦国武将・経家公の弔魂碑が吉香公園で見かけたことがきっかけ。弔魂碑の台座に「鳥取城」と刻まれていたため、碑の周辺を清掃していた新庄さんに聞いたところ、両市が歴史的な縁で深くつながっていることが分かった。

 翌年、鳥取市有志で墓参団を結成、岩国市で新庄さんらの温かい歓迎を受け、民間レベルの交流が始まった。平成4年から岩国まつりに「鳥取しゃんしゃん傘踊り隊」が参加、岩国市からは鳥取市で開かれる少年バレーボール大会や剣道大会に選手が参加するなど、交流が活発化、7年10月に姉妹都市縁組を結んだ。

 経家は毛利家臣の石見吉川氏の当主・吉川経安公の嫡男だった。天正9年(1581年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉率いる中国討伐軍が因幡国に侵攻。毛利氏に従属していた鳥取城主・山名豊国は秀吉に降伏しようとしたため、家臣の森下道誉、中村春続に追放された。森下は毛利家で山陰地方を采配していた吉川氏の当主・吉川元春公に支援を要請。元春公は家臣の牛尾元貞を派遣したが、戦闘で負傷(討死説もある)、吉川一門で文武に優れた経家に鳥取城を守るよう命じた。

 鳥取城の守備兵は山名氏配下1000名、毛利氏配下800人、籠城志願の農民兵が2000人と約4000人だった。2万の秀吉軍は鳥取城を包囲、食糧を断った。毛利勢の兵糧搬入作戦は失敗。兵糧の尽きた城内はあたかも地獄絵図と化した。そんな中で経家公は4か月の籠城戦に耐えたが、城兵の助命を条件に開城を決意する。

 秀吉は経家公の技量を惜しんで経家公の助命を図るが、経家公は自害した。遺書5通のうち3通は吉川史料館に保存されている。

 戦前の昭和14年、鳥取城の城石が岩国市に運ばれ、これを土台に経家の弔魂碑が吉香公園入口付近に建立された。平成5年には鳥取城正面入口に経家の銅像が建立された。

 8日に岩国国際観光ホテルで開かれた中国市長会に出席するため来岩した深澤市長は9日午前10時、吉川史料館内の木菟亭(みみずくてい)を訪ね、岩国吉川会の役員、新庄さん、岩国市の井上昭文・文化スポーツ担当部長らと懇談した。

 深澤市長は「岩国市と鳥取市は経家公の縁で姉妹都市となり、四半世紀が経過、32年には25周年の節目を迎える。吉川会の皆さんも活発に活動され、鳥取市での吉川交流会を楽しみにしている。鳥取市では経家公の業績が今も多くの市民の間で語り継がれている。今の鳥取市のまちを作っていただいたのが経家公。次世代にしっかりと語り継ぎたい」とあいさつした。

 岩国吉川会の隅会長は「吉川史料館名品展には最大限の協力をさせていただく。鳥取市民は歴史に詳しく、古典にも興味があると聞いている。(史料館には)吾妻鏡や経家公の遺書などもあるので、できるだけの協力をさせていただく」と述べた。

 深澤市長は「経家公は島根県から城主として鳥取に来られた。当時の城郭はいまはないが、30年という長い計画で城跡を整備しようと考えている。今年9月に登城橋が完成する予定。少しずつだが、整備が進んでいるので、ぜひ鳥取を訪れてください」と鳥取市の状況について説明した。

 縁組のきっかけとなった新庄さんは、ふだんから横山地区の吉川氏にかかわる墓所や歴史的な建物などで清掃奉仕活動をしていた。

 深澤市長を前に「平成3年1月の雪の降る寒い日、鳥取の方が来られた折、弔魂碑の前に偶然私がいた。そのとき、鳥取の方がすごく感激され、翌年、改めて墓参団を組織して岩国市を訪れた。そのときも私が案内し、それがきっかけで交流が深まった。経家公の縁で鳥取の方と縁ができ、吉川家発祥の地である静岡・駿河の方とも知り合い、その輪が広がっていった」と振り返った。

 鳥取城入口に経家の銅像が建立された折には経家の末裔だった故・三遊亭円楽師匠(落語家)とも話ができたと説明した。

 新庄さんは「たくさんの出会いがあったことで、いろいろなところに招いていただくようになり、鳥取市にも何度も行くことができた。本当に感謝している」と話した。

 深澤市長は「話を聞きながら当時のことを少しずつ思い起こすことができた。平成5年に銅像が完成した時、円楽師匠が太平洋戦争に重ね合わせ、指導者が正しい決断をしないといけないと話されたことを思い出した」とした。

 懇談を終えた深澤市長は史料館を見学した。史料館では明治時代に撮影された鳥取城の写真と共に経家の遺書も展示されており、深澤市長は城郭について「できるだけ当時の様子に戻そうと整備事業を進めています」と案内した吉川会の役員に説明した。

 経家の遺書を特に感慨深く見入り、「鳥取を救ってくれた人物。今後も岩国市との交流を深めながら、その偉業を後世に語り継いでいきたい」と話した。=日刊いわくに記事=



幕末物語る吉川家文書

岩国市指定文化財に

 岩国市教育委員会は平成30年4月19日、市役所内で教育委員会会議を開き、横山2丁目の「吉川家文書」を市指定文化財に指定することを決めた。

   ◇    ◇

 市教委文化財保護課によると、市内の遺産が文化財に指定されるのは平成23年12月の横山3丁目の「仙鳥館」以来6年ぶり。今回の指定で市内の文化財は国指定20件、県指定44件、市指定117件の計181件と登録文化財11件となった。

 文化財に指定されたのは、「吉川家文書(明治追加)32巻付明治追加目録1冊」と「鮎原剣神社穹崇橋(きゅうそうばし)付神苑ニ関スル経費明細簿、神社昇格願書」。

■吉川家文書

 公益財団法人・吉川報效会(きっかわほうこうかい)が所有する「吉川家文書(明治追加)32巻付明治追加目録1冊)」は大正6年(1917年)に製作された。

 日本の歴史上、重要な時点である明治維新で中心的な役割を果たした長州藩の局面での推移、その中における岩国藩主・吉川経幹(きっかわ・つねまさ)や岩国領の役割を詳細に示す貴重な資料で構成される。激動の時代を伝え、歴史的価値が極めて高い価値があることが認められた。

 史料に掲載された内容の中で注目すべき項目として文化財保護課は、第1次長州征討に関する記述を挙げている。

 長州藩や三支藩に関わる書状だけでなく、隣国の福岡藩や広島藩、宇和島藩など諸藩からの書状も多く含まれ、当時の岩国藩が長州藩の対外的交渉窓口として周旋活動を行っていたことを示すものだ。

 差出人も、藩主だけでなく、薩摩藩士の小松帯刀や西郷隆盛、高崎兵部、広島藩士の寺尾生十郎、上田乙次郎、福岡藩の月形洗蔵ら幕末に活躍した人物の名があり、当時、吉川経幹や岩国藩が長州外交で重要な役割を果たしていたことが分かる。

 さらに、経幹の手書きによる「応接始末直書」は元治元年(1864年)11月の広島・国泰寺応接における幕府からの詰問の内容が詳細に記述され、宗家・毛利家の危機に直面して奔走する経幹の言動を生々しく伝え、幕末の一級の史料といえる。

 「勅諚及び叡旨類」は江戸幕府からではなく、朝廷から官位や正式な城主格を与えられたことを示す史料で、江戸時代の吉川家の特殊性である家格問題の解決に関する内容だ。明治維新が岩国の歴史にも大きな意味をもつことの証であり、岩国の歴史を知る上で貴重な史料となる。

 さらに嘉永6年(1853年)のペリー来航から明治元年(1868年)の戊辰戦争に至るまでの史料は、明治維新で中心的な役割を担った長州藩の一支藩格の概況を示す貴重な資料だ。

 文化財保護課は「幕末から明治にかけて岩国藩や吉川経幹公が、本家を守るため、外交などで大きな役割を果たしていたことはよく知られているが、これらは、それをさらに裏付けする大変貴重な史料であり、文化財指定に相応しいと判断した」と説明している。=日刊いわくに記事=



平成29年度総会

吉川氏の藩風伝えたい

今年は駿河サミット開催

 鎌倉時代から続く歴史を誇り、江戸時代には岩国を所領して現在の岩国の基礎を築いた吉川氏の功績を顕彰し、誇りある地方文化を高めることを目的に活動している「岩国吉川会」(隅喜彦会長)は14日夜、岩国国際観光ホテルで総会を開き、今年度事業として吉川氏発祥の地である駿河(静岡県静岡市清水)で開く全国の吉川会との交流会(吉川サミット 10月28~29日)などの計画を承認した。総会に先立ち、元市教育委員会委員長の佐古利南さんが「近代日本の電気工業の礎を築いた岩国人たち~吉川藩の教育政策とその成果~」と題して、“日本の電気の父”“日本のエジソン”と称された藤岡市助や、「明電舎」を創設して“モートルの父”と称された重宗芳水の功績を中心に、郷土が生んだ偉人の功績を紹介し、「世のため人のため」という公の精神を生み出した藩風を後世に語り継ぐことの重要性を訴えた。

   ◇    ◇

 総会には名誉会長で第32代当主の吉川重幹(しげもと)氏のほか、佐倉弘之甫教育長ら来賓を含め約100人が出席した。

 開会にあたり隅会長は、市民顕彰の前文に触れて「岩国の市民憲章は他市の市民憲章にはない内容。今後、市民顕彰を作る市が参考にするのではないかと自負している。市民憲章を作るとき、どうしてもこだわったのが、『ふるさとが育てた偉人に学び、教養を高め、誇れる岩国を築き、引き継ぐ』という文言。中でも『教養を高め』という言葉だ。市民のレベルの高さを感じる。この精神は『世のため人のため』という吉川家の家風、思想を学んだ岩国の偉人からも伝わる。これを岩国の子どもたちに引き継いでいかなくてはならない。その意味でも吉川会ができて良かった。その家風はどこから来たか。藤原鎌足を始祖とする鎌倉時代からの長い歴史が脈々と引き継がれ、ここ岩国で結晶となった」とした。

 今年度事業として「岩国吉川会が平成23年にできたとき、第1回全国吉川交流会を開いた。以降は2年に一度開き、第2回は安芸、第3回は石見だった。第4回の今年は静岡県清水市で開かれる。近年の歴史ブームで各地が郷土の歴史を取り上げ、発展のために利用しているが、その多くは江戸以降のもの。岩国は鎌倉時代からの歴史をPRできる素晴らしい地。そのことを認識し子孫のために誇りの持てる岩国になるよう大いに期待している」とした。

 名誉会長の吉川当主は「総会で皆さんにお会いできることを楽しみにしていた。錦帯橋まつりの大名行列で城主役として衣装をまとって歩くと、観客から拍手をいただき、写真を撮りたいと声を掛けていただき、忙しかったが、皆さんの温情に感謝しつつ、悠久の歴史に思いを馳せ、感慨深い一日を過ごさせてもらった。岩国吉川会も7回目の総会。伝統と誇りある地域文化を高める活動を展開していただき、心から敬意を表したい。吉川文化再発見委員会が中心となって開催したオープンフォーラムでは地域の小中高校生が岩国をテーマに多くの作品を作った。岩国の素晴らしさを再発見する大変良いきっかけとなり、郷土愛につながると思う。さらに全国吉川交流会はいよいよ吉川発祥の地・駿河で開かれる。昨年、初代から3代までが眠る墳墓の整備も終わり、駿河吉川会も皆さんを迎える準備を進めている。ぜひとも多くの皆さんに交流会に参加していただきたい」と述べ、岩国吉川会の発展を祈念した。

 「吉川氏の歴史と伝統を小中生の教育の根幹としたい」という佐倉教育長の来賓あいさつを挟み、総会では今年度の事業計画として、米子城址・月山富田城址を訪ねての研修見学や、10月に駿河で開催される全国吉川交流会への参加、錦帯橋の世界文化遺産登録に向けた啓発活動への協力、初代岩国藩主・吉川広家公銅像建立に向けた推進活動などに取り組むことを決めた。

(記事提供:日刊いわくに)



第4回オープンフォーラムのお知らせ

岩国の歴史と吉川文化~吉川文化再発見~

【開催の目的】

私たちのふるさと岩国は、錦帯橋をはじめとする多くの文化遺産に恵まれています。その多くが旧藩時代の恩恵を受けていることに改めて驚かされます。この岩国の文化の底流にあるものを、吉川文化と名付けます。この度、開催する第4回オープンフォーラムは、埋もれている吉川文化を再発見し、そこからヒントを得て岩国の新しい未来を創造するために行うものです。

 

【開催日時】

平成29年11月11日(土) 13:30 ~ 16:00

【開催場所】

独立医療法人 国立病院岩国医療センター 研修センター

【プログラム】

◎基調講演

 講 師   吉川家第32代当主  吉 川 重 幹 様

 演 題   「吉川家の歴史について」 (仮題)

 

◎学校活動報告

 御庄小学校 常森由紀教頭による 「錦帯橋観光案内ボランティア」実践報告

 

◎公募作品の表彰と最優秀作品の発表

 公募テーマ 「私の好きな岩国の偉人」

 

【入場料】  無  料

【主 催】  岩国吉川会

【共 催】  吉川報效会 錦帯橋を世界遺産にする会

【後 援】  岩国市 岩国市教育委員会 岩国商工会議所 岩国市観光協会

      岩国市文化協会 岩国の文化を育てる会

 

【問い合わせ】

      〒740-0035 岩国市海土路町2丁目86-12

      佐古利南     電話0827(31)2149